29弘化4年萩生まれ。長州藩士として幕末緒戦に参加。維新後、ベルリンに留学し、プロシアの兵制を学ぶ。山県有朋や大山巌を輔けて軍制の改革を図り、参謀本部の独立、鎮台の師団改編等を行い、明治陸軍建設に大きな役割を果たす。その後、陸軍大将に累進し、第二代台湾総督、陸相の後、明治34年初めて組閣の大命を拝し、第一次桂内閣首相として翌年日英同盟を締結。さらに同37年、日露戦争では戦勝に導き、戦争の終結を深謀。外相小村寿太郎を全権として講和条約を結ばせた功績は非常に著しい。明治33年(1900年)、台湾協会会頭として台湾協会学校(現拓殖大学)を創立して初代校長に就任、以後12年間にわたり拓殖大学の基礎をつくる。拓殖大学第一高等学校の母体である拓殖大学は、1900年に創立以来、一貫して“国際人の育成”を建学の理念としてきました。現在、世界14か国30大学と提携し積極的に交流を図っている「国際大学」です。拓殖大学キャンパスでは、世界各国からやって来た留学生たちと日本の学生たちが共に学び語り合う姿を目にすることができます。拓殖大学創立者桂 太郎変化の激しい現代社会を生き抜くために 1900年に創立された拓殖大学は、国際大学のフロンティアとして数多くの有為の人材を輩出してきました。予測不能で変化の激しい現代社会を力強く生き抜くことのできる人材とは、「国際性」「専門性」「人間性」を兼ね備え、主体的・自立的に未来を切り拓いていける力をもった人材、すなわち「拓殖人材」であると考えています。 本学では、各学部での授業を通じて「専門性」を身につけ、国際交流プログラムや外国人留学生との日常的な触れ合いを通じて多様な価値観に触れ、授業や課外活動において主体性や他者との協働力を育むことができます。 拓殖大学は、社会のニーズの変化を常に取り入れ、学修者本位の質の高い教育を提供していきます。卒業生からのメッセージ様々な言語が学べる環境がそこに私が拓殖大学に進学を決めたのは、多くの地域言語を学ぶことができるからです。私は言語学に興味があり、出来る限り多くの言語が学べる大学を探していました。そして、拓殖大学で、合計12種類の言語を学べることを知り進学を決意しました。また、留学生も多く海外研修もあるため、学んだ事をすぐに実践できます。このような拓殖大学ならではの環境を生かし、将来に向けて精一杯頑張りたいです。八王子国際キャンパス学長インタビュー拓殖大学学長鈴木 昭一文京キャンパス「世界」を視野に、国際人の育成に努めていますN.Kさん <進学コース 令和6年度卒業多摩市立和田中学校出身>拓殖大学国際学部 国際学科拓殖大学について
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