医師国家試験に向けた勉強を日々こなすのは容易ではありませんでした。限られた時間で膨大な知識をインプットする必要があるだけでなく、アウトプットのための思考力も問われます。でもその壁は、星野での経験があったから乗り越えられたのです。高校で硬式テニス部に所属していた私は、練習がハードだった分、勉強の集中力を高められたと思っています。テニスコートは中学と共用ですが、中学の練習が終わるまでの1時間ほどの空き時間を利用して自習に励んだものです。メリハリのある生活習慣が身に付いたのは部活があってこそ。しかも、習い事のピアノまで続けていました。両親からは「医学部を目指すなら勉強一本にしたら?」と言われましたが、勉強・部活・ピアノはどれも私インドネシア・ジャカルタの市内MRT(マス・ラビット・トランジット)、地下鉄を整備するプロジェクトに携わっていました。ジャカルタは車社会で、日本では想像できないくらい渋滞がすさまじいです。それを緩和するためのプロジェクトです。ジャカルタでの生活は、日本とは環境も習慣も文化も異なるので、慣れるまでは驚かされることも多かったです。たとえば、ジャカルタではレストランでもメニューを持ってきてくれないとか、オーダーを間違えられることはしょっちゅうでした。バスは時間通りに来ないし、タクシーの予約をしていても、ドライバーが来ないこともありました。改めて、日本の交通機関の正確さを感じました。しかし、一方で、インドネシアの人たちの楽天的なところは、日本人にはなにとって大切なもの。簡単に諦めたくなかったのです。そんな望みを、星野は全力でバックアップしてくれました。英作文や小論文の添削、ほかにも模擬面接の練習まで、複数の先生からフィードバックを受けられる万全のサポート。本当に感謝しています。将来志望している診療科は、総合診療科や精神科です。患者さんの声をしっかり受け止め、その方にマッチした医療をきめ細かく提供したい。星野で出会った仲間たちは多種多様で、本当に個性豊かでした。そのような環境の中、相手を尊重する姿勢が自然と養われたのです。私の「患者さんの気持ちに寄り添う医師になりたい」という思いの原点は、間違いなく星野にあります。い魅力を感じましたし、見習う部分もたくさんありました。仕事でも、各部門の担当者との調整をする中で、彼らが「大丈夫!」ということと、私の感覚での「大丈夫」が違っていることが当たり前なので、バランスを意識しながら仕事をしていました。私は5歳から10歳までアメリカで暮らしていて、小学5年生のときに日本に戻ってきました。帰国子女が過ごしやすい環境かどうかという観点で家族と志望校を選んでいくなかで、星野学園中学校に魅力を感じ、入学することになりました。星野の卒業生とは、顔を合わせるとあっという間に中高生の時代に戻ってしまいます。中学・高校時代を共にして、社会人になってもこうして会える友達に恵まれたことは、星野を選んでよかったなと思うことのひとつです。31MESSAGE 卒業生PROFILE星野学園中学校を経て、星野高等学校卒業後、佐賀大学医学部医学科へ入学。在学中は水泳部に所属。医師国家試験合格後の2021年、福岡県久留米市の久留米大学病院に初期研修医として入職。医師としてのキャリアをスタートした。PROFILE星野学園中学校を経て、星野高等学校を卒業。在学中はバスケットボール部に所属。早稲田大学先進理工学部から同大学大学院先進理工研究科電気情報生命専攻へ進学。東洋エンジニアリング株式会社入社後、ブラジル駐在を経て、インドネシア・ジャカルタにおける地下鉄のインフラ整備に携わる。Hoshino Gakuen Junior High School医師Hさん東洋エンジニアリング株式会社Sさん星野で培った集中力で医師になる夢をかなえましたインフラ整備に関わることで人々の生活を豊かにしたい卒業生の今星野学園OBインタビュー
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