創立者 星野 りち校 章歴 史1897年4月(明治30)星野塾川越に設置認可、設置者兼塾長 星野 りち1953年5月(昭和28)学校法人星野学園認可、理事長兼校長 星野 三郎 就任1964年3月(昭和39)星野女子高等学校認可1984年1月(昭和59)川越東高等学校認可1986年6月(昭和61)校長 星野 誠 就任2000年3月(平成12)星野学園中学校認可2003年4月(平成15)星野女子高等学校は星野高等学校に 校名変更2007年3月(平成19)星野学園小学校認可星野学園の創立者「星野りち」は、東京女子師範学校(現 お茶の水女子大学)に学び、横浜の海岸女学校(現 青山学院)、麻布の東洋英和女学校(現 東洋英和女学院)で教師を務めました。その後、「誰もが公平に学べる場所」を実現するため、生家の敷地に「星野塾」を開きました。星野塾では、小笠原流の礼法に基づき、心を磨き、人間関係から学ぶことを大切にしました。科目の内容は国文、漢文、書道など多岐にわたり、幅広い教養を身につけることを柱としました。また、当時から世界に目を向けることの重要性を説き、英文タイプや洋裁などの実技にとどまらず、語学としての英語習得に力を注ぎました。このように、「礼法を通じて心を磨く」「あらゆる分野の知識をつける」「広い世界から学ぶ」という3つの方針は、開学当初から受け継がれてきた星野の伝統的価値観です。星野の校章は、創立者 星野りちの生家の屋号「碇屋(いかりや)」に由来する「碇(anchor)」と「鏡」でデザインされています。時代の潮流に安易に流されぬ信念の「碇」と、己の在り様を顧み正す「鏡」を心に置いて今を生きてほしい。またanchorが「安心感を与える存在」としての意味を持つように、自分を信じながら自分を見つめ続けることで、いつか誰かを安心させられる存在になって欲しい。そんな願いが込められています。SCHOOL GUIDE 2025
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